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大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)247号 判決

控訴人(昭二九(ネ)二〇七号被控訴人・昭二九(ネ)三二〇号控訴人・昭三六(ネ)二四七号付帯控訴人) 堀内甚太郎

被控訴人(昭二九(ネ)二〇七号控訴人・昭二九(ネ)二四七号付帯控訴人) 森富佐雄 (昭二九(ネ)三二〇号被控訴人・昭二九(ネ)二四七号付帯被控訴人) 東幸作こと東幸助 外一名

主文

1  昭和二九年(ネ)第二〇七号事件の控訴、昭和三六年(ネ)第二四七号事件の付帯控訴中付帯被控訴人森富佐男に関する部分に基き、原判決主文第一項を次の2、3のとおり変更する。

2  右控訴事件控訴人・右付帯控訴事件付帯被控訴人(第一審被告森富佐雄)は、右控訴事件被控訴人・右付帯控訴事件付帯控訴人(第一審原告)に対し六五万五二四四円及びこれに対する昭和二五年七月一日から支払ずみまで年五分の割合による金額を支払え。

3  右控訴事件被控訴人・右付帯控訴事件付帯控訴人(第一審原告)の右控訴事件控訴人・右付帯控訴事件付帯被控訴人(第一審被告森富佐雄)に対するその余の請求を棄却する。

4  昭和二九年(ネ)第三二〇号事件の控訴、昭和三六年(ネ)第二四七号事件の付帯控訴中付帯被控訴人東幸助、南部寿太郎に関する部分をいずれも棄却する。

5  昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯控訴人が同事件付帯被控訴人東幸助、南部寿太郎に対し当審で拡張した請求を棄却する。

6  訴訟費用中昭和二九年(ネ)第二〇七号事件被控訴人・昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯控訴人(第一審原告)と昭和二九年(ネ)第二〇七号事件控訴人・昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯被控訴人(第一審被告)森富佐雄との間において生じたものは、第一、二審を通じ第一審被告森富佐雄の負担とし、昭和二九年(ネ)第三二〇号事件の控訴費用、昭和三六年第(ネ)二四七号事件の付帯控訴費用中付帯被控訴人東幸助、南部寿太郎に関する部分は、昭和二九年(ネ)第三二〇号事件控訴人・昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯控訴人(第一審原告)の負担とする。

7  この判決主文第二項は、第一審原告が第一審被告森富佐雄に対し三二万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

昭和二九年(ネ)第三二〇号事件控訴人堀内甚太郎は、「原判決主文第二項を取り消す。被控訴人東幸助、南部寿太郎は連帯して控訴人に対し六一万三四三〇円及びこれに対する昭和二三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金額を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求め、昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯控訴人堀内甚太郎は、「付帯被控訴人三名は連帯して付帯控訴人に対し四万一八一四円及びこれに対する昭和二三年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金額を支払え。付帯控訴費用は付帯被控訴人等の負担とする。」との判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求め、昭和二九年(ネ)第二〇七号事件被控訴人堀内甚太郎は、「控訴人森富佐雄の本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、昭和二九年(ネ)第二〇七号事件控訴人森富佐雄は、「原判決主文第一項を取り消す。被控訴人堀内甚太郎の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯被控訴人森富佐雄は、「付帯控訴人堀内甚太郎の本件付帯控訴を棄却する。同付帯控訴人が当審で拡張した請求を棄却する。」との判決を求め、昭和二九年(ネ)第三二〇号事件被控訴人東幸助、南部寿太郎は、「控訴人堀内甚太郎の本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯被控訴人東幸助、南部寿太郎は、「付帯控訴人堀内甚太郎の本件付帯控訴を棄却する。同付帯控訴人が当審で拡張した請求を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、

昭和二九年(ネ)第三二〇号事件控訴人、同年(ネ)第二〇七号事件被控訴人、昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯控訴人(以下第一審原告という。)の方で、

昭和二九年(ネ)第二〇七号事件控訴人、昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯被控訴人森富佐雄(以下第一審被告森という。)、昭和二九年(ネ)第三二〇号事件被控訴人、昭和三六年(ネ)第二四七号事件付帯被控訴人東幸助、南部寿太郎(以下それぞれ第一審被告東、南部という。)は、共同して、和歌山県西牟婁郡周参見町大字周参見字冬木五一九六番地通称冬木谷公簿面積四五町五反六畝二四歩字滝の硲山林地盤実測面積約二町五反歩のうちその西南部の、別紙図面表示の(1) から(10)までと(1) とを結ぶ線で囲まれた部分(以下本件山林地盤という。)に生立していた第一審原告所有の杉檜立木(以下本件山林立木という。)を故意または過失により不法に伐採し、かつその伐採された第一審原告所有の材木を他に売渡処分したものである。仮に第一審被告東、南部が本件山林立木を第一審被告森の所有であると信じ、かつ信じたことに過失なくして買い受けたものであるとしても、第一審被告森は故意または過失により第一審被告東、南部にこれを売り渡し、かつ伐採させたものであつて、少くとも第一審被告森の行為に不法行為であることを免れない。仮に第一審被告森が本件山林立木を第一審被告東、南部に売り渡していないとしても、第一審被告東、南部は故意または過失により第一審原告所有の本件山林立木を共同して不法に伐採したものであるから、少くとも同被告両名は不法行為による責任を免れないばかりでなく、第一審被告東、南部は伐採した材木をその後他に処分しており、その材木の処分について第一審被告森は材木の所有者であるとして承諾を与えているものであるから、同被告は第一審原告所有の材木を不法に処分したものにほかならず、不法行為の責を免れることはできない。

第一審被告森は、当時第一審原告が本件山林地盤について立木所有を目的とする地上権を有し、かつその山林上の立木を所有していることを十分知つていたものであり、仮にそれを知らなかつたとしても、およそ人は他人の権利を侵害してはならないものであり、相続財産を含む自己の財産の所在、範囲、その負担等を明確に知つておくべき義務があるのであつて、その義務を怠り他人の財産を自己のものであるとするときは過失があるものであるから、第一審被告森が第一審原告所有の本件山林立木を自己の所有であると信じたことについて過失がある。第一審被告森は、東京大学卒業後他の会社または亡祖父森佐太吉の経営していた軍需会社に勤務するかたわら、株式の売買をしており、佐太吉に常時接していたが、その間度々郷里周参見町に帰つていたし、しばらく海軍に入隊していたが病気のため帰郷しているのであつて、その後昭和二一年二月二二日亡父森秀之助の隠居により家督相続をした。第一審被告森は、その相続財産の所在、範囲、負担等、したがつて本件山林地盤上の第一審原告の立木地上権、本件山林立木所有権について、秀之助その他の家人から聞知しているはずであるばかりでなくこれを聞知すべき義務がある。ことに右地上権、本件山林立木の前主金谷九郎は、昭和一八年五月一日第一審原告に対し右地上権、本件山林立木を売り渡す直前、第一審被告森方で秀之助に対しこれを買い取るよう申し込み拒絶された事実があるのであつて、第一審被告森はこの事実を十分聞知しているはずである。そのことは、同被告が常に「学校で習つた知識を悪用して世間にどれだけ通用するものかためしてみるのだ。」といつて秀之助や近親の制止をきかず、数件の訴訟をしている事実からもうかがうことができる。一般に山林立木の登記がされていない場合は、その立木に対する公課はその山林地盤所有者に課せられるのであるから、登記のない本件山林立木に対する公課は本件山林地盤所有者の佐太吉、秀之助または第一審被告森に課せられていたのであつて、これを考慮してとくにその地代は普通より高く定められていたのである。本件山林立木に対する公課が佐太吉、秀之助または第一審被告森に課せられていたことをもつて、本件山林立木が第一審被告森の所有であると同被告が信じていたのは相当であつて過失がないということはできない。要するに、第一審被告森が本件山林立木、その伐採された材木を不法に処分したことについて、同被告に故意または過失があるものといわなければならない。

およそ植栽した杉檜については、植栽後約一〇年までは毎年一回か二回下苅をし、約一〇年をこえ二〇年までは数年に一回下苅をし、約二〇年をこえるものは、ほとんど下苅をする必要はないのである。芝崎音三郎が本件山林立木を所有していた期間、芝崎は本件山林に近い周参見町に居住し、山番をおかずみずからその管理をし、最初の七年か八年の間は、毎年一回か二回下苅枝払いの手入をし、浪江甚太郎はその所有していた期間、同町に住み山番をおかずみずから管理し、その間約二回下苅をし、金谷九郎はその所有していた期間、山番をおいて管理をさせ、第一審原告はこれを取得した後、手入の必要が少く橋本弥助、上田与一郎を山番としてこれを管理させ、その間一回下苅枝払いなどの手入をしたのであつて、第一審原告は本件山林立木が伐採された事実を右山番の報告によつて知つたのである。したがつて第一審原告は本件山林立木の管理を怠つていたものではなく、第一審原告に過失はない。およそ山林地盤所有者は、立木地上権を設定した場合その地上権の存在を知らないはずはないから、地上権が他に移転しても、地主にその旨通知されないのが通例であつて、その立木の伐採が行われる場合だけ地代支払の必要上地上権移転の通知が行われているにすぎない。第一審原告が本件山林立木地上権を譲り受けた旨通知しなかつたからといつて第一審原告に過失はない。本件山林立木は前示冬木谷四五町歩余のうちの滝の硲と称する約二町五反歩の特別区域中の大部分の一町七反歩に生立しており、他の部分に紛れこむようなことはない。第一審被告南部は、従前より第一審原告のいわゆる買子の一人であつて、買子は主人のため山林買付のあつせんをするものであり、第一審被告南部は同原告のため山林買付のあつせんをしていたものであるけれども、同原告の山林管理人でなく、さきに和歌山地方裁判所田辺支部に第一審被告森を原告とし、第一審被告東、南部を被告とする昭和二三年(ワ)第四二号立本並びに伐採木所有権確認及び損害賠償請求事件が係属し、同事件は本件山林立木等を第一審被告東、南部が不法に伐採し、伐採しようとした事実関係を請求原因とするものであつたけれども、当時第一審原告は右訴訟の係属を知らなかつたものであり、弁護士の数の少い地方において、右事件の被告東、南部の訴訟代理人であつた山本光太郎弁護士が、右事件の原告森の反対側の第一審原告の訴訟代理人となつたからといつて、奇異なことはない。要するに第一審被告森の過失相殺の主張は理由がない。

第一審被告が共同して不法に処分した本件山林立木中本件山林地盤のうち甲第四号証の部分に生立していたものは、杉二三一石二斗三升、檜二六〇石一斗九升で、その昭和二五年六月頃の価額は、それぞれ石当り一〇二五円、一一二五円計五二万九七二三円であるところ、これより本件山林地盤所有者第一審被告森ほか一名の取得すべきその地代四割五分相当額二三万八三七五円三五銭を差し引いた残額二九万一三四七円六五銭相当の損害を第一審原告は被つた。本件山林立木中前示杉檜立木を除いたものは、杉三四四石二斗一升、檜一〇四石二斗九升で、その昭和二五年六月頃の価額は、それぞれ石当り一二二五円、一三二五円計五五万九八四一円であるところ、これより第一審被告森ほか一名の取得すべきその地代三割五分相当額一九万五九四四円三五銭を差し引いた残額三六万三八九六円六五銭相当の損害を第一審原告は被つた。したがつて、第一審原告は以上合計六五万五二四四円相当の損害を被つたものであるから、第一審被告三名に対し連帯して右六五万五二四四円及びこれに対する前示伐採の後の昭和二三年四月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分相当の遅延損害金の支払を求める次第であつて、第一審原告、原審で請求した六一万三四三〇円と前示六五万五二四四円との差額四万一八一四円及びこれに対する右同日から支払ずみまで前示年五分相当の遅延損害金の請求を当審において追加拡張する次第である。

と述べ、

第一審被告森の方で、

本件山林は、和歌山県西牟婁郡周参見町大字周参見字冬木五一九六番地通称冬木谷の山林公簿面積四五町五反六畝二四歩の一部であつて、第一審被告森の祖父森佐太吉は山番の関本岩太郎に本件山林を管理させていたところ、佐太吉は昭和一六年九月一三日死亡し、第一審被告森の父森秀之助が家督相続をしたが、岩太郎は昭和二一年中死亡しその後その義兄関本繁太郎に本件山林を管理させていた。第一審被告森は、東京大学卒業後海軍に入隊し久しく郷里周参見町に帰らず、昭和二一年二月二二日秀之助の隠居により家督相続をしたものであるが、同被告は佐太吉、秀之助、山番等から本件山林地盤上に立木地上権のあることを聞いたことはなく、かえつて同被告は本件山林立木を自己の所有であると確信していたものであるばかりでなく、山番等や世間一般もそのように信じていた。本件山林立木に対する公課も佐太吉、秀之助、第一審被告森が納付しているのである。第一審被告森は、本件山林立木が自己の所有であると確信していたから、これを勝手に伐採した第一審被告東、南部を相手取り和歌山地方裁判所田辺支部昭和二三年(ワ)第四二号所有権確認等事件の訴を提起したのである。第一審被告森が本件山林立木を自己所有のものであると信ずるについて過失はない。山本亀五郎、その相続人山本新右衛門、芝崎音三郎、浪江甚太郎、第一審原告など本件山林立木を所有していたと称する者は、いずれも山番をおいておらず、間伐その他本件山林立木の管理をしていない。本件山林立木地上権が明治三三年以来数十年間に転々譲渡されているにかかわらず、佐太吉、秀之助はその譲渡通知を受けていない。本件山林一町七反歩は広大な冬木谷四五町余のうちの僅少な一部にすぎず、その地上権は転々移転しており、その取得者は地上権の所在を明確にするため、本件山林地盤所有者であつた佐太吉や秀之助に対し立木地上権を取得した旨通知すべき義務があるのにこれを怠つていた。そのため第一審被告森も本件山林立木地上権のあること、したがつて本件山林立木が第一審原告所有であることを知らなかつた。第一審被告南部は、かねて第一審原告のいわゆる買予であつて、第一審被告南部は、前述のように和歌山地方裁判所田辺支部昭和二三年(ワ)第四二号事件の被告として同事件の原告の第一審被告森との間で、本件山林立木所有権の帰属について争つたことがあり、第一審原告は当時その紛争を知つていたはずである。それにもかかわらず、当時第一審原告は自己が本件山林立木地上権者であり、本件山林立木の所有者であることを第一審被告森に通知していない。右事件の被告の第一審被告南部の訴訟代理人山本光太郎弁護士は現に第一審原告の訴訟代理人であることも納得できない。以上要するに第一審被告森は本件山林立木が第一審原告の所有であることを知らず、かつ知らなかつたことに過失はないものである。

仮に第一審被告森に故意または過失があり、不法行為による責任があるとしても、同被告だけがその責任を負うべきものでなく第一審被告東、南部と共同してその責任を負うべきである。第一審被告東、南部は、いずれも材木業者またはその専属のいわゆる買子であつて、主人のため山林又は伐採木を買い付ける仕事に従事するものであるところ、第一審被告森の知らない間に、販売の目的で本件山林立木を伐採したものである。したがつて、第一審被告東、南部が右材木を販売するに当つて、第一審被告森が前示昭和二三年(ワ)第四二号事件の裁判上の和解において右販売を承諾したからといつて第一審被告東、南部は本件山林立木伐採及び材本処分の、不法行為による責任を免れることはできず、同被告両名は第一審被告森と共同の責任を負うべきものである。

仮に第一審被告森に不法行為による責任があるとしても、第一審被告森は、伐採された本件山林立木の石数、価額算定の時期及び価額、すなわち損害の額を争うものである。第一審原告の被つた損害の額は、本件山林立木の価額から本件山林地盤中甲第四号証の部分の地代、すなわち、同地上の立木の価額の四割五分相当額、その余の部分の地代、すなわち同地上の立木の価額の三割五分相当額をそれぞれ差し引いたものである。そして、前述のように第一審原告は、本件山林立木地上権を譲り受けた旨秀之助や第一審被告森に通知することを怠つており、かつ本件山林立木の間伐その他管理を怠つていたのであつて、このような不注意のため本件山林立木が第一審被告森の所有であるとして伐採され、かつその材木が販売処分されたのであるから、第一審原告に過失があるものというべく、右過失はその損害の額を定めるについて参酌されねばならない。

と述べ、

第一審被告東、南部の方で、

第一審被告東、南部は、昭和二四年一二月一〇日前示昭和二三年(ワ)第四二号事件について、裁判上の和解が成立した時から約六カ月の期間内に伐採されてあつた本件立木を搬出して他に販売処分したものである。

と述ベたほか、

いずれも原判決記載事実と同一(ただし、原判決二枚目裏五行目に「昭和二十三年頃」とあるのを「昭和二年か三年頃」と改め、同四枚目表四行目に「原告に対抗」とあるのを「被告に対抗」と改める。)であるから、これを引用する。

当事者双方の証拠の提出援用認否は、

第一審原告の方で、

甲第一〇、第一一号証を提出し、当審証人浪江甚太郎、勝本健一、橋本弥助、上田与一郎、愛須佐五八、榎本駿郎、金谷九郎の証言、当審における検証(第一、二回)の結果、当審鑑定人中田清一、岡本宗二郎の鑑定の結果を援用し、乙第五、第六号証の各一、二、第八号証、第七号証中公文書の部分の成立を認め、乙第七号証のその余の部分の成立は不知と述べ、

第一審被告森の方で、

乙第五、第六号証の各一、二、第七、第八号証を提出し、当審証人勝本健一、森よね、関本繁太郎、上野又吉、上野喜太夫の証言、当審における第一審被告森富佐雄、南部寿太郎各本人尋問の結果、当審における検証(第一、二回)の結果、当審鑑定人山崎久市、柴田信男の鑑定の結果を援用し、甲第一〇、第一一号証の成立は不知と述べ、

第一審被告東、南部の方で、

甲第一〇、第一一号証の成立は不知と述べたほか、

いずれも原判決事実記載と同一(ただし、原判決三枚目裏五行目に「柴崎徳一」とあるのを「芝崎徳一」と、同六行目に「橋本弥映」とあるのを「橋本弥助」と、同六行目に「上田与一」とあるのを「上田与一郎」と、同七行目に「平坂新吉」とあるのを「平阪新吉」とそれぞれ訂正し、同七行目の「印鑑簿」の下に「検証の結果」を加える。)であるから、これを引用する。

理由

成立に争のない甲第六号証から第九号証まで、第一審原告と第一審被告森との間で成立に争のない乙第一号証から第四号証まで(第一審原告と第一審被告東、南部との間で、公文書であるからその成立が推認される。)、第五、第六号証の各一、二(第一審原告と第一審被告東、南部との間で、第三者の作成したものであつて弁論の全趣旨によつてその成立が認められる。)、第一審原告と第一審被告東、南部との間で成立に争のない丙第一号証から第五号証まで(第一審原告と第一審被告森との間で、公文書であるからその成立が推認される。)、原審証人上野直一の証言によつてその成立の認められる甲第一号証、原審及び当審証人浪江甚太郎の証言によつてその成立の認められる甲第二号証、原審証人芝崎徳一の証言によつてその成立の認められる甲第三号証、当審証人上野又吉の証言、原審における印鑑簿の検証の結果、原審鑑定人山崎国造の鑑定の結果によつて森佐太吉・上野良三及び上野喜三郎・森佐太郎各名下の印影がそれぞれ同人等の印によるものであることが認められるのでそれぞれその成立の推認される甲第四、第五号証、当審における第一審被告森富佐雄本人尋問の結果によつてその成立の認められる乙第七号証(公文書の部分について第一審原告と第一審被告森との間で成立に争がない。)、原審証人芝崎徳一、上野直一、平阪新吉、原審及び当審証人浪江甚太郎、金谷九郎、橋本弥助、上田与一郎、愛須佐五八、関本繁太郎、勝本健一、当審証人榎本駿郎、森よね、上野又吉の証言、原審及び当審における第一審被告森富佐雄、当審における第一審被告南部寿太郎各本人尋問の結果、原審及び当審(第一、二回)における本件山林地盤検証の結果、原審鑑定人寺本良三、当審鑑定人中田清一、柴田信男の鑑定の結果、弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

本件山林地盤を含む和歌山県西牟婁郡周参見町大字周参見字冬木五一九六番地通称冬木谷山林四五町五反六畝二四歩は、もと第一審被告森の祖父森佐太吉と上野又吉の祖父上野喜三郎とが共有(それぞれの持分一〇分の七、一〇分の三)していたものであるが佐太吉は昭和一二年一月二三日隠居しその子森秀之助はその持分一〇分の七を家督相続によつて取得し、秀之助は昭和二一年二月二二日隠居しその子の第一審被告森はこれを家督相続によつて取得し、喜三郎の子上野良三は明治三三年一〇月一八日家督相続により右持分一〇分の三を取得し、その子上野又吉は大正一三年九月五日家督相続によりこれを取得し、佐太吉はこれより先昭和一六年九月一三日死亡し、秀之助は昭和二八年一月一九日死亡したものであるところ、佐太吉、喜三郎は明治三三年五月一五日山本亀五郎に対し字滝の硲にある本件山林地盤について立木所有のため期限を伐採の時まで、地代を伐採時の立木価額の三割五分と定めて地上権を設定し、山本はこれに杉檜約五〇〇〇本を植栽し、地上権設定登記をしなかつた。山本は大正七年頃芝崎音三郎に右地上権、同地上の山林立木を譲渡したところ、芝崎はその後本件山林地盤中別紙図面表示点線より下部(北部)、すなわち甲第四号証の部分に生立していた立木を伐採し、大正八年頃当時の本件山林地盤共有者佐太吉・良三との間に右部分について立木所有のため地代を伐採時の立木の価額の四割五分、期限を伐採時までと定めて地上権設定を受ける旨契約して杉檜三四〇〇本を植栽し、大正一一年四月中その旨の契約書(甲第四号証)を作成したが、地上権設定登記を経由しなかつた。芝崎はその頃浪江甚太郎に、同人は昭和二年か昭和三年頃金谷九郎に、同人は昭和一八年五月一日第一審原告に順次本件山林地盤上の立木地上権(以下本件立木地上権という。)、本件山林立木を譲渡したが、その旨の地上権移転登記をせず、金谷以外の者は佐太吉や秀之助に対するその旨の譲渡通知をしなかつた。金谷は、前示のように本件山林立木地上権、本件山林立木を第一審原告に譲渡する前の昭和一六年か一七年頃自己の妻を秀之助方に行かせて同人に本件山林立木を買い取るよう勧めさせ、右譲渡の世話をした者の一人である平阪新吉も甲第四号証の契約書を第一審被告森方に持参して買取を勧めたが、代金額不一致のため売買が成立しなかつた。浪江はその所有期間中みずから本件山林地盤中甲第四号証の部分では、毎年一回間伐、下苅をし、その余の部分では一回間伐し、金谷はこれに山番をおきその所有期間中数回間伐等の手入をしたが、第一審原告所有期間中はほとんど手入の必要がなく一回か二回手入をしただけであつた。他方、第一審被告森の方では、昭和二一年一月頃以前関本権六を、その死亡後はその子関本岩太郎を本件山林その他の山番とし、その頃同人が死亡したのでその後は岩太郎の義兄関本繁太郎がその山番となり盗伐、山火事を防ぐため見廻りをしていた。これより先、昭和二〇年二月二三日本件山林付近の鉄道を走る汽かん車の煙突から出た火粉のためその付近に山火事が発生したが、本件山林立木にはほとんど損害はなく本件山林地盤中前示甲第九号証(乙第四号証)の検証調書添付第二図記載の第三部分に生立していた立木のうち若干が火災の結果枯死した。その後この第三部分に生立していたその余の立木は伐採のため皮はぎされた結果後記裁判上の和解当時立木のまま枯死していた。第一審被告森は、昭和一六年一二月中東京大学を卒業し約半月間周参見町の秀之助方に帰つていたが、昭和一七年一月海軍に入隊しその後戦地に行き昭和一九年帰還し昭和二〇年二月頃病気療養のため秀之助方に帰つた。他方、第一審被告東、南部は昭和一七年頃から昭和二〇年六月中までの間数回秀之助からその所有の周参見町大字周参見字冬木五一九六番地通称冬木谷、米山等所在の山林立木を買い受けており、同月九日頃秀之助から冬木谷林道筋の一部、栗の木谷防火線上所在の山林立木を代金八〇〇〇円で買い受けたところ、その頃から昭和二三年三月頃までの間第一審被告東、南部は右山林付近にある本件山林立木等も右売買の目的物に属するものと信じて本件山林立木を伐採した。第一審被告森は、本件山林立木が自己の所有であると信じており、これを含めて財産税の申告をし、かつこれを納付していたところ、第一審被告東、南部が本件山林立木等を伐採したことを知つて、同被告両名を相手取り右伐採された本件山林立木保全のため仮処分をし、かつ和歌山地方裁判所田辺支部昭和二三年(ワ)第四二号事件をもつて立木並びに伐採木所有権確認等の訴を提起したが、昭和二四年一二月一〇日裁判上の和解をし、「一、当事者双方は和歌山県西牟婁郡周参見町大字周参見上戸川五一九六番地通称冬木谷の内滝の硲約二町五反歩及び同所米山約一町反歩内にそれぞれ生立する杉檜等立木全部が原告(第一審被告森)の所有であること、右二カ所内に存在する杉檜伐採木全部が被告(第一審被告東、南部)の所有であることを確認する。一、被告は、前項の伐採木を移動する前、代償として金六万二五〇〇円を原告に支払うこととして右代償の支払期日は昭和二四年一二月二〇日限りとする。被告は右金額の授受が終るまで右採木の移動搬出等一切の処分をしないこと」等と定めた。前示訴訟の検証調書添付第二図の第三部分の枯死した立木も右裁判上の和解第一項後段で第一審被告東、南部の所有と確認されたものであるところ、同被告両名は、右代償金支払期日の翌日である同年一二月二一日からおそくとも昭和二五年六月末までの間に、右枯立木を伐採し、この伐採木及び伐採されてあつた前示立木、つまり本件立木全部を搬出してその頃他に売渡処分した(第一審被告東、南部がこれを前示期間中搬出して売渡処分したことは、同被告両名の自認するところである。)。

以上の事実が認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。

してみると、第一審原告は本件山林立木地上権、本件山林立木所有権を取得していたものというべきである。

第一審被告森は、第一審原告は、本件山林立木地上権取得についてその登記を欠くからこれをもつて第三者である第一審被告森に対抗することができないと主張するので考えてみる。思うに、不動産についての権利が甲から乙にさらに乙から丙に移転した場合、甲ば乙丙間の物権変動の登記欠缺を主張することができない。なぜならば、甲は乙丙間の移転を否認しても、それによつて自分の権利が復活するわけではないからである。このことは、甲の有する権利全部が甲から乙に、さらに乙から丙に移転する場合に限られるものでなく、甲の有する権利の一部が創設的に甲から乙に移転する場合、たとえば甲が乙のために地上権を設定し、乙がそれを丙に譲渡する場合も同様に、甲は乙丙間の登記の欠缺を主張することはできないと解するのが相当である。そして、甲の相続人も甲と同一の地位にあるものであつて、甲と同様乙丙間の登記の欠缺を主張することができないというべきである。本件についてこれをみるに、第一審被告森の被相続人秀之助の被相続人佐太吉は、本件山林地盤持分一〇分の七について、山本亀五郎に地上権を設定し、さらに後にその一部の地域について芝崎音三郎に対し地上権を設定したものであるところ、順次浪江甚太郎、金谷九郎を経て第一審原告は本件山林立木地上権を取得したものであるから、第一審被告森は、本件山林立木地上権移転の登記欠缺を主張することができないものといわなければならない。第一審被告森の右主張は採用できない。

第一審被告森は、大正一一年四月中から昭和一七年四月中まで二〇年間の時効によつて本件山林立木所有権を取得したと主張するので考えてみるに、佐太吉は前示のように明治三三年五月一五日本件山林地盤について、さらに大正八年中本件山林地盤中甲第四号証の部分についてあらためてそれぞれ立木地上権を設定したものであり、秀之助は昭和一二年一月二三日佐太吉の隠居によりその家督相続をし、第一審被告森は昭和二一年二月二二日秀之助の隠居によりその家督相続をしたものであるところ、佐太吉、ついで秀之助が大正一一年四月中から昭和一七年四月まで二〇年間本件山林立木を占有した事実を確認するに足りる証拠はない。かえつて前示のように浪江は大正一一年頃から昭和二年か三年頃までみずから本件山林地盤中甲第四号証の部分では毎年一回間伐、下苅をしその余の部分では一回間伐し、金谷はその後昭和一八年五月中まで山番をおいて数回その間伐等の手入をしていたものであつて、佐太吉、ついで秀之助は大正一一年四月中から昭和一七年四月中まで二〇年間本件山林立木を占有していなかつたものというべきである。佐太吉、ついで秀之助が本件山林立木を前示二〇年間占有していたことを前提とする第一審被告森の右主張は採用できない。

第一審原告は、第一審被告森第一審被告東、南部と共同して本件山林立木を伐採したものであると主張するけれども、右主張を確認するに足りる証拠は何もない。かえつて前示のように第一審被告東、南部が第一審被告森の知らない間にこれを伐採したものである。第一審原告の右主張は採用することができない。

前示のように、第一審被告森は、昭和二四年一二月一〇日第一審被告東、南部と裁判上の和解をし、山火事等により枯死したり伐採されたりしていた第一審原告所有の本件山林立木(以下本件伐木という。)を第一審被告森の所有であるとして、第一審被告東、南部からその対価六万二五〇〇円を受領すると引換に同被告両名の方で、本件伐木を搬出し他に売渡処分することを承諾し、第一審被告東、南部は昭和二四年一二月二一日から昭和二五年六月末までの間にこれを搬出し他に売渡処分したものであるから、特別の事情の認められない以上、第一審原告はその返還を受けることができず、第一審被告東、南部が本件伐木を他に売り渡したことにより第一審原告はその所有権を失つたものというべきである。しかし、第一審被告森が本件伐木を自己の所有であると信じていたことは前示認定のとおりであるから、同被告に故意があるものということはできない。そこで、同被告に過失があつたかどうかについて考えてみよう。前示甲第六号証によると、本件山林地盤を含む第一審被告森が持分一〇分の七を有する周参見町大字周参見字冬木五一九六番地山林四五町五反六畝二四歩については、明治二八年三月二五日加森三吉のためその一部につき立木地上権が設定され明治三〇年四月一五日その旨第一番地上権設定登記がなされているほか、大正四年一月三〇日までの間五個の立木地上権設定登記がなされていることが認められるところ、前示のように金谷は、本件山林立木地上権を昭和一八年五月一日第一審原告に対しこれを譲渡する前の昭和一六年か一七年頃秀之助方に自己の妻を行かせて本件山林立木売買の交渉をさせており、平阪新吉も甲第四号証の契約書も第一審被告森方に持参して買取を勧めているのであるから、秀之助は本件山林立木が第一審原告の所有であることを十分知つていたものといわねばならない。とすると、第一審被告森が前示のように昭和二四年一二月一〇日前示裁判上の和解をするにあたり、秀之助に対し本件山林立木地上権の有無、したがつて、これに生立している立木が他人所有であるかどうかを尋ねてその調査をするべき注意義務があるというべく、前示森よねの証言、当審における第一審被告森本人尋問の結果によると、秀之助は昭和二〇年頃中風にかかつて前示のように昭和二八年一月一九日死亡したものであることが認められるけれども、前示裁判上の和解が行われた昭和二四年一二月一〇日当時、秀之助に本件山林伐木が他人所有であることを告げることができないような病状であつたことを確認するに足りる証拠はないから、もし第一審被告森が当時秀之助に対し本件伐木が他人所有であるかどうかを尋ねていたならば、それが他人所有であることを容易に知ることができたものというべきである。すると、第一審被告森は、前示注意義務を怠つていたものというべく、過失の責を免れることはできない。したがつて第一審被告森は、過失により本件伐木を第一審被告東、南部から対価を受領して同被告等が他に売渡処分することを承諾し、不法に第一審原告のその所有権を侵害したものであつて、これが損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

そこで、その損害について考えてみる。

およそ所有物が滅失した場合の損害の額は、一般にその滅失当時の価額によるべきところ、伐採されていた本件伐木は前述のように昭和二四年一二月二一日から昭和二五年六月末までの間に売却処分されたものであるが、原審鑑定人寺本良三、当審鑑定人中田清一、柴田信男、岡本宗二郎の鑑定の結果によると、前示昭和二四年一二月二一日から昭和二五年六月末までの間(鑑定人岡本宗二郎は昭和二五年六月頃現在を基準としてその価額を鑑定しているけれども、特別の事情が認められない本件においては、前示期間中も同額であると推定する。)の本件山林現場における、本件山林地盤中甲第四号証の部分に生立していた本件山林立木(樹令二六年から三〇年まで)中伐採された杉立木二三一石二斗三升の価額は少くとも石当り一〇二五円計二三万七〇一〇円(円位未満切捨)、檜立木計二六〇石一斗九升の価額は少くとも石当り一一二五円計二九万二七一三円(円未満切捨)、本件山林地盤中その余の部分に生立していた、前示枯立木(本件の場合、枯立木となつても、その価額が減少されないことは、この枯立木のうち前示火災によるものはその損害がほとんどなくその余の枯立木は伐採のための皮はぎによるものであることと前示寺本良三の鑑定の結果によつてうかがわれる。)を含む本件山林立木(樹齢四五年から五〇年まで)中杉立木三四四石二斗一升の価額は少くとも石当り一二二五円計四二万一六五七円(円位未満切捨)、檜立木一〇四石二斗九升の価額は少くとも石当り一三二五円計一三万八一八四円(円位未満切捨)であると認めるのが相当である。右認定に反する当審鑑定人山崎久市の鑑定の結果は採用できない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。すると、本件山林地盤中甲第四号証の部分に生立していた本件立木(杉檜)の価額は計五二万九七二三円、本件山林地盤中その余の部分に生立していた、前示枯立木を含む本件立木(杉檜)の価額は計五五万九八四一円であるところ、第一審原告が伐採に際し本件山林地盤所有者である第一審被告森ほか一名に支払うべき地代は、前示のように前者につき四割五分相当額すなわち二三万八三七五円三五銭、後者につき三割五分相当額すなわち一九万五九四四円三五銭であるから、前者の五二万九七二三円、後者の五五万九八四一円からそれぞれ右各地代を差し引いた、残額二九万一三四七円六五銭、三六万三八九六円六五銭の合算額六五万五二四四円(円位未満切捨)が第一審原告の被つた損害額であるというべきである。

第一審被告森は、右損害の額について第一審原告の過失を参酌すべきであると主張するので考えてみる。前示のように、第一審原告は本件山林立木地上権を譲り受けた旨の通知を、当時の本件山林地盤共有者の一人佐太吉、その後家督相続によつてこれを取得した秀之助や第一審被告森に対し通知していないけれども、第三者の作成したものであつて弁論の全趣旨によつてその成立の認められる甲第一〇、第一一号証、当審証人浪江甚太郎、橋本弥助、上田与一郎、愛須佐五八、榎本駿郎の証言によると、周参見地方において山林立木地上権を譲り受け取得した者が、立木伐採の場合は別として、その譲渡通知をしなければならない慣例はないことが認められるばかりでなく、第一審原告が右譲渡を受けた旨の通知をしなかつたことをもつて、公平の原則上非難されるべき、損額の発生を容易にした不注意ということはできない。第一審原告は前示のように本件山林立木を取得した後、本件山林立木の手入をする必要がほとんどなかつたため、一回か二回その手入をしているにすぎないけれども、これまた第一審原告の不注意ということはできない。第一審被告森の右主張は採用できない。

すると本件伐木全部について第一審被告南部、東により他に売り渡され、第一審原告がその所有権を失つたのは昭和二四年一二月二一日から昭和二五年六月三〇日までの間であつて、何時何程売却されたかを確認することはできないから、第一審被告森は第一審原告に対し前示六五万五二四四円及びこれに対する前示損害発生の最終の日の翌日の昭和二五年七月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分相当の遅延損害金を支払うべき義務を免れない。

第一審被告東、南部が本件山林立木を第一審被告森の所有であると信じて伐採し、かつ同被告と共同して本件伐木を他に売渡処分したことは前示認定のとおりである。したがつて第一審被告東、南部に故意はないものというべきである。そこで、同被告両名に過失があるかどうかについて考えてみる。前示のように同被告両名は昭和一七年頃から昭和二〇年六月中まで数回秀之助からその所有の周参見町大字周参見冬木五一九六番地四五町五反六畝二五町歩通称冬木谷、米山等所在の山林立木を買い受けているのであつて、前示乙第三号証、第五、第六号証の各一、二、当審における第一審被告森富佐雄本人尋問の結果によると、第一審被告森は、右字冬木五一九六番地通称冬木谷の、広大な面積の山林地盤中において、本件山林立木以外の山林立木を所有しており、その所有の他の山林地盤においても山林立木を所有していることが認められるから、第一審被告東、南部が前示のように昭和二〇年六月九日頃買い受けた冬木谷林道筋の一部、栗の木谷防火線上所在の山林立木付近にある本件山林立木をその伐採当時第一審被告森の所有であると信じたことは無理からぬことというべく、また前示昭和二三年(ワ)第四二号事件の訴訟進行中第一審被告森は本件伐木を自己の所有であると主張していたものであつて、このことと前示認定とあわせて考えると、前示裁判上の和解の時から本件伐木が他に売渡処分されるまでの間、第一審被告東、南部が本件伐木を第一審被告森の所有であると信じたことも無理からぬことというべきである。したがつて、第一審被告東、南部に過失はなく、不法行為による責任を有しないと断定せざるを得ない。

そうすると、原判決が第一審原告の、原審でした第一審被告森に対する本訴請求のうち六一万三四三〇円及びこれに対する昭和二五年七月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分相当の遅延損害金の請求を認容した部分は相当であるが、右六一万三四三〇円に対する昭和二三年四月一日から昭和二五年六月三〇日まで右年五分相当の遅延損害金の請求を認容した部分は失当であり、第一審原告が当審で拡張した、第一審被告森に対する、前示六五万五二四四円から右六一万三四三〇円を差し引いた残額四万一八一四円及びこれに対する昭和二三年四月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分相当の遅延損害金の請求は、四万一八一四円及びこれに対する昭和二五年七月一日から支払ずみまで右年五分相当の遅延損害金の限度において相当として認定すべく、右四万一八一四円に対する昭和二三年四月一日から昭和二五年六月三〇日までの右年五分相当の遅延損害金の請求は失当であるからこれを棄却すべく、第一審被告森の控訴、第一審原告の第一審被告森に対する付帯控訴は、いずれも一部理由があるから、原判決主文第一項はこれを変更すべきである。しかし、第一審原告の、原審でした第一審被告東、南部に対する請求及び当審で拡張した同被告両名に対する請求は、いずれも失当であるから、これを棄却すべく、前者の請求について右と同趣旨の原判決中第一審被告両名に関する部分は相当であつて、これに対する控訴は理由がないものというべく、後者の請求について第一審原告の付帯控訴は理由がないものといわねばならない。

そこで、民訴法三八六条三八四条、九六条八九条九二条、一九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 熊野啓五郎 岡野幸之助 山内敏彦)

見取図〈省略〉

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